天衣無縫の極み(てんいむほうのきわみ)とは?

天衣無縫とは言葉自体の意味を調べると「自然で、完全、美しい」ものと出てくる。この記事では、テニスの王子様の最後に登場する天衣無縫の極みについて解説してきます。

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天衣無縫の極み(てんいむほうのきわみ)とは?

詩歌について用いられるようだがテニスの王子様(以下、テニプリ)という作品においてもその意味通り自身の限界を超えた者がたどり着く「無我の境地」のさらに奥にある最後の扉とされている。

かつてサムライ南次郎と呼ばれその名を世界に轟かせたプロテニスプレイヤー、越前南次郎をはじめとし、その息子リョーマが全国大会決勝でその扉にたどり着くこととなる。

その根幹には「テニスを純粋に楽しむ気持ち」があるようで、実際には天衣無縫の極みはないとも南次郎は語っている。

順を追って説明すると無我の境地にたどり着いたものは常人の目にもわかるようなオーラを身にまとい、これまで戦ってきたライバルたちの技を無意識に発動できる状態になる。そのオーラを局所に集めることで無意識であるが故の激しい体力消耗を抑え、打球の回転、威力、スピードをそのまま倍返しできるのが「百錬自得の極み」だ。

天衣無縫の極みとはこの「百錬自得の極み」ぼ発展ということになるので純粋にテニスを楽しむ、といってもとてつもないパフォーマンスができるのは想像に難くない。当時リアルタイムで見てた筆者世代は口をそろえて「スーパーサイヤ人」と例えたものだ。

天衣無縫の極み(てんいむほうのきわみ)を使用した人

越前リョーマ

青春学園中等部(以下、青学)1年、サムライ南次郎の息子で1年生ながらレギュラーを勝ち取り数々の強敵を打ち破っていく。全国大会では最後の開かずの扉と言われていた天衣無縫の極みを発動して3連覇を目指す立海大付属の幸村を倒し全国優勝に導いた。

遠山金太郎

大阪の四天宝寺中学1年、彼もまた1年生ながらレギュラーとしてチームの主力メンバーとして青学に立ちはだかる。もともとテニスが好き、という雰囲気がビシビシ伝わってきていたので天衣無縫の極みを開けなくてもそういう雰囲気をまとっている気がしなくもなかった。ちなみに素の状態で無我の境地を発動したリョーマと互角であった。とんでもない。

そんな金太郎が天衣無縫の極みにたどり着くのは続編である新テニスの王子様(以下、新テニ)でのこと。後述する鬼十次郎との対戦にて発動する。いやもう・・・金太郎くらいだとまさにスーパーサイヤ人のそれなんですよ。

手塚国光

青学3年部長でインフレの火付け役なのでは、というくらい数々の超人的必殺技を持つ。手塚ファントムはあかん、ほんまにあかんと思います。U-17の合宿で青学OBであり当時部長であった大和と対戦した時に発動。彼の場合は「自身のやるべきことが終わった」が故に発動したものといえる描写がされています。もともと百錬自得の極みが1年生のときから使えていたようなので天衣無縫の極みに至るのは必然だったかもしれませんが。

鬼十次郎

新テニの舞台、U-17合宿にて地獄の門番といわれている高校生。不二いわくもともと天衣無縫の極みを使えていたとのことだが、天衣無縫の極みに目覚めた金太郎との試合で自身もテニスを楽しむことを思い出してか天衣無縫の極みを発動させる。青学の桃城を一本ずつ十字に張ったラケットで圧倒するレベルの強さなので正直手が付けられないと思う。事実現状作中では負けなし。

天衣無縫の極み(てんいむほうのきわみ)が活躍した名シーン

やはりリョーマ対幸村の全国大会決勝戦だろう。この時すでに無我の境地を自在に発動できたリョーマは第1ゲームから全開で例のオーラをまとい攻撃を仕掛けていく。しかし、幸村には技の本質が見えるとのことでリョーマの繰り出す技はことごとく打ち返されてしまう。自在に発動できるとはいえ、無我の境地でのスタミナ消費は激しく徐々に五感を奪われるというこれまた超常現象が発生するwww

無我の境地も通じず、五感も奪われ万事休すかと思われたときテニスを楽しむこと、純粋に楽しんでいた子供のころから、今までのライバルとの戦いに至るまでの回想シーンに入り覚醒。「テニスって楽しいじゃん」の直後に体中が光に包まれるシーンは完全にバトル漫画です。

あとは、リョーマの潜在能力が目覚め幸村を圧倒。サーブやリターンといったボールが幸村の返せないレベルになりました。決め手として、侍ドライブを放ちます。幸村も王者の意地を見せて侍ドライブを返しますが、真っ二つに割れたボールの一点を見極めてスマッシュでフィニッシュを飾りました。

天衣無縫の極み(てんいむほうのきわみ)の魅力とは?

個人的には「テニスを楽しむこと」という原点に立ち返ってくれたような設定が好きです。ある一定の時期からテニス漫画は一種のバトル漫画へと変わっていきます。

現状一番強い技が「楽しまなければ発動しない、開けられない」ところにやっぱりテニスなんだとわずかです。

ほんのわずかですがかろうじてテニス漫画であることを感じられるところが天衣無縫の極み、テニプリの魅力かなと思います。

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